■ガキの頃一冊の本を買いました。その本にはトップウォーターでの釣りや道具について書いてあり当時のバイブルでした。私は小遣いを貯めてその本に載っているフルサイズプラグが欲しく数個買いました。しかし実際キャストもままならない私には釣れませんでした・・まして金銭的に余裕も無く小さいトッププラグ、安い国産プラグ、潜り物、ワームなどを買うのが必死でした。いつしかその本も見ることが無くなってました。その後働き出しその時々に出た最新の道具などを買い漁り、Vハルフルリグまで買い、琵琶湖でバスボートに乗ったりひたすら釣果を求める様になっていました。しかし何かしっくりこなく行き詰ってました。
ある時たまたま掃除をしていたらあの本が出てきました。少し大人になっていた私はもう一度ゆっくり読み直しました。そうだ!のんびり行ったらええねん!とガキの頃のタックルを持ち出し釣りに行きました。フルサイズでも釣れるやん!!これええやん!!と・・やっぱコレやな(+’ー’)( ,_,)(+’ー’)( ,_,)ウンウンッ その時改めてというより初めてトップの釣りの楽しさを知りました。性格的に向いてるやんって・・
それから現在まで暴走し続けてます。
しかし最近国産B級プラグなんかで釣るのも楽しい私でした(^^;) 「管理人」


■さかのぼること20数年前、1980年代初頭、小学生だった私は、学校ではやっていたルアー釣りなるものに出会いました。とにかく今までの釣りに対して抱いてたイメージを覆す、おもちゃのようなプラグ達 は、まさにカルチャーショックでした。そんな多感な少年時代にルアーというへんてこりんな玩具にはまってしまったのは、それまでの、ウルトラ怪 獣やスーパーカーの消しゴム、ガンプラの延長だったのではないかと改めて感じています。

当時よく読んでいた雑誌「少年つりトップ」や他の著名な本に 出ていた、へドンやバルサ50がショップの一面を埋め尽くしていたこと、また釣り場で出会ったお兄さんが使う、ライフルのようなグリップの竿やシルバーに 輝く丸いリールに心を奪われたものです。
当時見ていた、「テレビ東京飛び出せ釣り仲間!」では、かの「リベット」で有名な、平本正博氏がボート上で 開いていた、両開きのアムコは少年にとって本当に憧れでした。 お年玉をはたいて初めて買った、バルサ50のフグは、その晩は枕もとに置いて寝て、何度も一緒に風呂に入りました。そして、忘れもしないトップでの 初ヒットは、53センチのライギョでした。そう当時は未だバスが広まってなくて専らライギョでルアー釣りというかトップの釣りを覚えたものです。JLAAの ライギョダービーにも参加しました。(いまだに1mオーバー釣ってみたいです・・・)

その後、ご多聞にもれず、20代の数年間を中心にクルマや他の遊びに浮気した後、ここ6〜7年前から、80年代の釣りを再開して現在に至ります。 人一倍ノスタルジーな気分に浸るくせのある私の場合、タックルを考える上で、当時(80s)の憧れだったタックル(ロッド、リール、ルアー、ボックス他)や ウエア、書籍までをトータルでコーディネートして、さながら当時のようにフィッシングライフを楽しむということにこだわっています。 例えば、ABUはエビス物とか、ルアーは思い入れのあるカラーを中心に少数精鋭で とか、自分なりにこじつけて手にしています。(本当はお金がないので、止む終えないためなんですがね・・・)
そして、そのこだわりのタックル達で釣ったバスは一生の思い出になります。ルアー釣りは、行きつくところ「思い出作り」であると考えます。タックルを見れば、 その時の情景が思い出されるというのは、単純な浪費だけの趣味では決して味わえない醍醐味だと思います。 トップの素晴らしさというのは、人それぞれですが、ずばり「静から動への転換」に あると私は思います。魚が最初にコンタクトする“ヒット”(バイトではなく、80sは“ヒット”と言った)を境に180度変化した一連のプロセスの中に毎回、驚 きと感動を覚えてしまいます。 そんな愛すべき趣味(というかライフワークかな?)にはまってしまったからには、これから一生かけて追求し、楽しんでゆこうと考えています。 そしていつまでも少年時代の夢を追いつづける、大人になれない男でありつづけようと思っています。(笑)「by BAM」

■【はじめて】 私が釣りをしたのが小学校の4年の時に父親に釣れていってもらったサビキつりでした。いうまでも無く入れ食いで、かなり衝撃的だったのを覚えています。
最初のバス釣りは、小5の時に電車で2駅の所にある公園の池でした。私の住んでいる近辺には池が全くなくていつもそこに行ってました。当然、まともなタックルもない私は父親に無理を言って買ってもらった振出しの万能 竿に父親のスピニングリールを付けたタックルで、スピナ−やワームを一生懸命に沖に向かって投げていました。そうするうちにルアーがすべて無くなり、いつもザリガニ釣りをしていました。
初めてバスを釣ったのは、中1の夏でした。一人で兵庫県の小野市まで電車を乗り継いで行きました。当然まだバス釣りの知識が乏しくルアーもちょっと豪華(っていっても パチもんルアー満載!)になってました。釣り場もわからず適当に歩いて池に到着した私は、ベビトのパチモンを沖に向かってキャストしまくりでした。その池には釣り人がいっぱいい たのでしばし人の釣りを見ていると、沖ではなく岸際にキャストしてヒットさせているのを見て、私も岸際をねらって釣っていました。しかし所詮ヘタッピ〜な私には全く釣れませんでした。
結局、釣れないまま夕方を迎えた時、目の前でボイルが起こり私は無意識にそのボイルがあった所にキャストすると、着水と同時にルアーがなくなっていました。バスを釣った事のない私は何が起こったか分からずにしばし呆然・・・・・ちょうど 近くにいた釣り人が、「バスきとうで〜!はよ引っ張らなアカンで〜!」って言われ、もう何がなんだかわからないままバスが上がってきました。30センチにも満たないバスでしたが、コンディション のいいバスでした。この時の状況は25年近く経った今でも鮮明に覚えています。コレが私の「泥沼」へのプロローグになるとは思いませんでした。

【バス釣り】 初バスを釣ってからはコンスタントにバスを釣る事が出来ました。そうして高校生になり、アルバイトをしてやっとベイトリールを買い週末はバス釣り 三昧でした。
当時はワームの釣りをマスターしていたので、ワームばっかりで釣りをしていました。
とはいえ高校生活のなかで、釣りよりも楽しいことがいっぱいある事に気付いた私は、バス釣りよりも「陸づり!」の腕前を磨きまくっていました。 そうするうちに社会人になりお金もかなりまとまって入るようになると、もっともっと楽しい誘惑がこの世の中にはある事に気付き、もう「サル全開☆☆」でした。
たまたま同期の友人が「昔バス釣りやっててん。」というので久しぶりにバス釣りに行きました。久しぶりのバス釣りでしたが、入れ食いのように釣れ、再びバス釣り熱が上がる事と なりました。当時流行りのタックルやルアーを買いまくりでした。
普通の釣りでそれなりに釣れるようになり、今度はNBCのチャプターに出て自分の腕がどこまでなのか試してみたくなり3年間頑張りましたが、結局上には上がいるという のと、自分の釣り方でない釣り方で釣りをする事に疑問を感じてしまいました。それからはいろんなルアーを買い、いろんな釣り方で一通りバス釣りをしてきまし た。
30歳の時にトップで釣りをする人に出会い、いろいろ話しをしたり、一緒に釣りに行ったりして「何かコレええやん!」って感じでした。トップのルアーは結構持っていたのですぐに釣りに行ける状態でしたが、周りの連中は流行まっしぐらだったので、もっぱら1人での釣行でし た。当時、高級タックルは持ってませんでしたが、行けば1本か2本は釣れたのでとても面白かったです。 そのころ家に子供が出来て、あんまりバス釣りに行けなくなりましたが、道具・ル アーを少しづつ集めていき今に至っております。(この少しあと頃に会長に出会い、泥沼へまっしぐらです。)
正直、トップ暦4〜5年程度で、高級な物はほとんど持ってませんが、ほんとに皆さん良い方ばかりですのですごく自分の人生で楽しい時間を過ごさせてもらっています。 本当に突き詰めればキリが無いですが、私は「オナニスト」でイキます!!

今はトップの釣りを余りよく分からない私に、かなりショートカットさせて頂いておりますので本当に会長には頭が上がりません。少しづつですが自分のスタイルも出来てきましたので、 皆さんこれからもよろしくお願いいたします。 「by爆走トラッカ〜♪」(ハーダン氏)

■80s。私がバス釣りに出会ったのは、小学生の時でした。当時バスが釣れる場所が珍しいなか(雷魚や鯰ばかりでした。)子供でも自転車で行ける所でバスが釣れる環境があったのが今思うと、大変恵まれていたと思います。
もちろん最初はハードルアーなんぞ買えませんでしたので、しばらくはワームオンリーでした。いろんなワームを1つの袋に入れて、色なんか変色してましたけど大事に使ってましたっけ。ルアーが水中で引っかかっても、反対岸まで走って行って引っ張ってみたりして・・・なかなか糸を切ったり出来なかったものです。 ですから、お年玉を貯めて、貯めてタックルが少しずつ増えていくんですが、その都度、釣具屋で何を買おうか悩みました。初めてアブのリールを買ったときとか、50のルアーを買ったときとかは、感動でしたね。。。

その後、90sになると、タックルもバスプロ並みにシステム化して、バスも簡単に釣れる様になるのですが、飽きてくると言うか・・・面白くなくなり、釣りから→車・バイク・パチンコ・おねえちゃん!?・・・と次第に釣行回数が減るようになりました。凹
しかし、10年ぐらい前にフローターを買いまして、TOPだけで釣りをしてみたら、楽しいったらありゃしない!!小学生から同級の水面浮浪者さんと、釣具屋でばったり逢ったりもして・・・意気投合。バス釣りがまた楽しくなったのです。
で現在、『バスが釣れると、80sタックルが欲しくなり、タックルを買うと、また釣りに行きたくなる。』と言う、悪魔のようなスパイラル地獄に毎日格闘中です。(笑)・・・「by 演歌歌手」(香川支部長)


■私がルアーと出会ったのは小学四年生。当時は近くにバスがおらず、コツコツとルアーを買っては、始発電車で遠くの野池に行ってました。しかし高校生になるとギターや他の遊びに夢中になり、すっかり釣りから離れてしまいます。
 社会人になりルアーを再開した数年後に空前のバスバブルが到来!。と同時にメンターに憧れた私は競い合う釣りに没頭し、とにかく魚を釣る事だけに必死でした。
 ある日ショップ主催の大会に参加した際、全く知らない人と同船しました。私が全く釣れない中、その人はテンポよく釣られたので、何で釣れたか聞くと、『何で君に教えなきゃなんねぇ〜んだ!』と一喝されました。その後も小言を言われ続け、仕舞には『クランクとか投げずにもっと釣れる釣りをしろよ!』と……。
その瞬間に船上で大ゲンカ!。
 それ以来、釣りに行くことはおろか、ルアーを見ることさえ嫌いになってしまいました。
 そんなある日、久しぶりに会う知人から釣りの誘いを受けました。「せっかくやからトップで遊ぼう!」と。
 やって来たのは南紀のリザーバー。
私はいつも通りのマシンガンキャスト。しかし知人は私がキャストを休めた時にだけ投げます。いつの間にか私もそのリズムに影響され、気付けば交互にキャストし、互いのルアーを見るようになってました。他人のルアーを自分の事のように見るのは少年時代以来かも…。
 その後は大きいルアーに小バスが食っただけで盛り上がり、魚がバレると大笑いをし、今までとは全く違う時間が流れます。
 結局この日は私は一匹も釣れませんでしたが、ここ数年で一番楽しく清々しい釣行でした。

トップって楽しいかも……。

 その後、管理人さんと運命的な出会いをし(笑)、この釣りを通して多くの人と出会い、すっかりこの世界にハマってしまいました。
 最近は王道から少し外れたB級での釣りに魅了され、妙な方向に傾く時もありますが、これからもこの釣りをずっと楽しんでいきたいと思います。by「セラフさん」


■80'sバシング。
釣りに興味を持ったのは小学高学年の頃で幼馴染の女の子の実家が釣具店を営んでいたからです。
その娘の胸がドンドン大きくなっていくのに比例して仲間達と釣具店に通う頻度が上がっていきました。
もうひとつは、実家が商売をしていて夕飯も遅く家族間のケンカも多かったので、皆が家に帰った後も弟と二人だけでも遊べる「釣り」は最高の遊びでした。
バス釣りを始めたのはは80年に釣りキチ三平のアニメ放送が始まった頃に前後します。釣具店の店主さんから白竜湖でバスが釣れると聞いて
チャリンコで片道2時間〜3時間かけて釣りに行きはじめました。
釣れない時期が長く、いつまでたっても雑誌のカラーページで見るバスは幻の魚でそれは、それは崇高な魚でした。
初めて釣ったのは皆でキャンプに行った時です。テント設営もソコソコに我先で湖畔に立ち、メップスブラックフューリーのパチもんスピナーを立ち木に通した時、金色の腹が水中ではためいた次の瞬間”ゴン”と竿に衝撃が走りました。
「ぎだ〜!!!!」変な奇声を聞いて、駄弁っていた仲間が駆け寄ってきました。
頭、真っ白でどうやって魚を取り込んだのか覚えてませんが当時はランカーと呼ばれていた42cmをゲット☆
「ワシにも触らせてくれ〜」「バスの口に指入れて持たせてくれ〜」とやかましい仲間に「キャッチ&リリースは早くせんといけんのじゃ」とすぐ魚を離してやりました。
仲間達の羨望の眼差しを背中に感じながら、ゆっくりと水中に戻っていくバスを静かに眺めるワタシ!
自分の人生で一番カッコええ瞬間だったかもしれません。
その後、いろんなルアーを弟とタッグを組んで買い漁りました。
しかし、広島の田舎町では外国製のルアーはほとんど置いてなく買えるのは、ダイワ、リョービなどの国産プラグたちでした。
しかし比較するルアーもあまり見たことないのでチープとか安っぽいとか感じる事もなく子供受けするようなギミックに本気で心躍らせてました。
アングリングなどの雑誌も創刊されてましたが立読みで済ませていたため知識も皆無でしたが釣れないながらも幸せなバス釣りを満喫していました。
大学で神戸に出てきてからは、キラ星の如くアメリカンルアーを多く抱える友人の知識、技術、経験や講釈に度肝を抜かれました。
最初こそ素直に聞いて実践し、バスもたくさん釣れるようになりましたが次第にバイク、ディスコ、おねーちゃんに興味が行くようになりバスから離れました。
バスブームの頃から戻ってきて雑誌の通りの釣りをしてましたが次第に宣伝文句がすぎるルアー達に辟易していたところに管理人さんのブログを発見しました。
そこには、リョービ、ダイワ、オリム、シマノといった昔、熱くなっていたルアーたちがサラリとなんですが愛情ある表現で紹介されていました。
しかも、僕が少年時代に持ってたブギマスターでデカイのを釣り上げておられました!
カッコええ! コレだ、コレしかない!
昔から残っていたルアーはわずかばかりでしたので、その日から昔のボックス再現するため、中古屋巡回、オクでの競い合い、ブログ徘徊が加速しました。
昔なじみのルアーを実際釣行に使うだけでなく、嘗め回すように眺めたり、触ったり、嗅いだり、語ったりといろんな愛で方で変態道に精進しております。
セコイなどと称賛されますが、好きなんだから許してやってください。
ゴリ巻きは...やってないことにしています。
こんな異端なワタシをお仲間に入れてくださいました事を感謝いたします。
皆様、どうぞよろしくお願い致します。「by カープヒロシマさん」